ドイツで働く自分を、ある日ふと俯瞰して眺めてみた。
そして、今さらながら一つのことに気づいた。
自分はずっと、日本式で働いてきたのだ。
情や空気、周囲からの圧力を感じ取りながら、
それらを微調整しつつ、少しずつ自分を主張していく。
それが、長年染みついた「日本式」の働き方だった。
一方で、ドイツ(あるいは日本以外の多くの国)では、
主張は「正当化」されるものであり、
情ではなく、論理と契約によって仕事が動く。
ドイツで、日本式は通じない。
要するに、情では仕事は動かない。
ただし、ここが面白いところでもある。
仕事において情は介在しない一方で、
極めて個人的な課題や問題については、
むしろ驚くほど解決しやすい場面もある。
このギャップが、実に難しい。
例えば「遅刻」。
日本では、事情を説明すれば考慮してもらえる余地がある。
体調、家庭、突発的な事情——
そこに「人」が見られる。
しかしドイツでは、事情はほとんど加味されない。
時間に来ることは契約であり、
それは絶対に履行されるべきものだ。
ドイツでは、
契約は「守るもの」ではなく、履行するものである。
効率化についても同様だ。
ドイツ式は、極端なほど徹底していて、
そして驚くほど地味だ。
派手さはないが、ぶれない。
情についても誤解しがちだが、
ドイツに「情がない」わけではない。
むしろ、
相手目線で何が本当に解決策になるのかを、真剣に考える。
そこに情に流される余地はなく、
一度決めた策はぶれない。
それがドイツ式だと感じている。
なぜ日本は30年間、停滞してしまったのか
考えてみると、
30年間経済が停滞してしまった日本とドイツの違いは、
「契約」に対する考え方と、
「課題」に向き合う覚悟の差なのではないかと思う。
ドイツは、課題に対して本気だ。
大げさではなく、命をかけているように見える。
一方の日本は、
どこか甘く、どこか曖昧で、
情や空気で先送りしてしまう。
ある日、ドイツ人マネージャーにこう言われた。
「あなたは、日本人っぽい日本人だね」
当時は少し引っかかったその一言。
けれど今は、その意味が
少しずつ分かってきた気がしている。

コメント