DE020:ドイツで働く自分を、少し離れた場所から見てみて思ったこと

ドイツ編

ドイツで働く自分を、ある日ふと俯瞰して眺めてみた。
そして、今さらながら一つのことに気づいた。

自分はずっと、日本式で働いてきたのだ。

情や空気、周囲からの圧力を感じ取りながら、
それらを微調整しつつ、少しずつ自分を主張していく。
それが、長年染みついた「日本式」の働き方だった。

一方で、ドイツ(あるいは日本以外の多くの国)では、
主張は「正当化」されるものであり、
情ではなく、論理と契約によって仕事が動く。

ドイツで、日本式は通じない。
要するに、情では仕事は動かない

ただし、ここが面白いところでもある。
仕事において情は介在しない一方で、
極めて個人的な課題や問題については、
むしろ驚くほど解決しやすい場面もある。

このギャップが、実に難しい。

例えば「遅刻」。

日本では、事情を説明すれば考慮してもらえる余地がある。
体調、家庭、突発的な事情——
そこに「人」が見られる。

しかしドイツでは、事情はほとんど加味されない。
時間に来ることは契約であり、
それは絶対に履行されるべきものだ。

ドイツでは、
契約は「守るもの」ではなく、履行するものである。

効率化についても同様だ。
ドイツ式は、極端なほど徹底していて、
そして驚くほど地味だ。
派手さはないが、ぶれない。

情についても誤解しがちだが、
ドイツに「情がない」わけではない。

むしろ、
相手目線で何が本当に解決策になるのかを、真剣に考える。
そこに情に流される余地はなく、
一度決めた策はぶれない。

それがドイツ式だと感じている。


なぜ日本は30年間、停滞してしまったのか

考えてみると、
30年間経済が停滞してしまった日本とドイツの違いは、
「契約」に対する考え方と、
「課題」に向き合う覚悟の差なのではないかと思う。

ドイツは、課題に対して本気だ。
大げさではなく、命をかけているように見える。

一方の日本は、
どこか甘く、どこか曖昧で、
情や空気で先送りしてしまう。

ある日、ドイツ人マネージャーにこう言われた。

「あなたは、日本人っぽい日本人だね」

当時は少し引っかかったその一言。
けれど今は、その意味が
少しずつ分かってきた気がしている。

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