現場の作業員からスタートし、上層のポジションまで上り詰めた、新卒でエリートとして入社して確固たる実績を積み重ね上り詰めた、、などといって自負する人をよく見かける。
その努力や経験は確かに尊敬に値するが、個人的な印象として、
そうしたタイプの人が経営層にいる会社は、少しバランスを欠いているように感じることがある。
会社というのは、人間の身体のようなものだと思う。
現場やドライバーは「手足」にあたる存在だ。
では、その手足が「脳」になることはできるのだろうか。
私の見方では、多くの企業が「脳の機能を欠いた身体」となり、
方向性を見失ったまま動き続けているようにも見える。
よく「名だたる経営者は現場上がりだ」と言われる。
ただし私の理解では、彼らは“現場から上がった”というよりも、
“最初から経営者であった”人たちではないかと思う。
彼らは自ら会社を起こした時点で、すでに経営という感覚を持ち合わせていた。
小さな事業を胎児のように育てながら、自然に企業を成長させていった――そんな印象がある。
一方で、創業者のいない会社は、どこか老化が早いように思える。
最近ではサラリーマン出身の社長が増えているが、
これが日本企業の活力低下の一因ではないか、と個人的には感じている。
サラリーマン社長の会社では、
「手足」があたかも「脳」であるかのように振る舞う構造が見られることがある。
結果として、頭のない体が動いているような違和感が生じ、
内部留保を増やすこと自体が目的化してしまう。
もちろん、それが悪いというわけではない。
ただ、経営とは本来、数字の蓄積以上に「方向性」や「意思」を伴うものではないか――
そんなことを、私はよく考えてしまう。

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