海外で経営を見て思うこと ー 欧州的視点と日本的経営の違い

ヒトコト

海外で働く中で、経営に対するスタンスの違いを感じることが多々ある。あくまで私個人の主観ではあるが、とりわけ欧州、特にドイツにおける企業の営みには、日本とは異なる独自の思想が根底に流れているように思う。

まず最も印象的なのは、「極端な利益追求」を良しとしない姿勢だ。もちろん、どこの国の企業であれ利益を追わないわけではない。しかし、その利益が**「誰のためのものか」**という問いに対して、欧州企業は非常に明確である。

利益を上げるのは目的ではなく手段。その利益はまず社員に還元され、さらなる投資の原資となり、結果として新たな雇用やサービス、技術へと循環していく。「企業とは、社会の一部であり、人の集合体である」という認識が、日常的な経営判断の背後に見え隠れする。

一方で、日本における経営の多くは、「組織ありき」「空気ありき」の感が強い。会社とは何のために存在し、仕事とは誰のために行うものなのか。そうした根源的な問いに向き合う機会が少ないように感じる。それは決して怠慢というわけではなく、「同調圧力」というある種の社会的潤滑油によって、個人の違和感が表面化しにくくなっているのだと思う。

話をドイツに戻すと、彼らの企業経営は「持てる資源を最大限に活かし、いかに再投資していくか」という点に非常に長けている。そして、それを可能にしているのは、「顧客との対等な関係性」が社会に広く浸透しているからだと感じる。

欧州では、顧客もまた企業と同じ“社会の一員”として見なされる。だから、顧客だからといって過剰なサービスは求められないし、企業側も過度に迎合することがない。これは日本のように「お客様は神様です」という発想とは真逆の文化だが、それが企業にとって一定の自由度を与えている。

また、これは皮肉でもあるが、労働分配率に関して言えば、ドイツは日本よりも抑え気味である。にもかかわらず、社員への投資は手厚く、職場環境や働き方の改善にも積極的だ。表面だけを見ると矛盾しているように思えるが、根底には「働く人間への長期的な投資」という思想があるのだろう。


結びに

欧州、特にドイツでの企業経営を間近に見て感じるのは、経営とは単なる数字や成果の話ではなく、人や社会との関係性の中でこそ意味を持つ、ということである。
日本もまた独自の文化と経営観を持つ国であり、それが悪いわけではない。ただ、今後の社会変化の中で、自分たちの「当たり前」に一度問いを立ててみることは、きっと無駄にはならないだろう。

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