「海外で暮らしてみたい」
そんな思いを強く抱くようになったのは、まだ社会のことも自分の将来も、ぼんやりとしか見えていなかった若い頃のことでした。けれど、その気持ちだけは不思議なくらい鮮明で、「今、行かないと一生後悔するかもしれない」という予感のようなものが常に心の中にありました。
私は就職活動というものを最初からしていませんでした。まわりがスーツを着て説明会に行く中で、自分は違う道を選びたいという気持ちが日に日に強くなっていったのです。決められた道をただ進むよりも、まだ見ぬ世界に飛び込んで、自分で答えを探したかった。その第一歩として、「海外で生活する」ことが、自分にとっては一番自然な選択でした。
アメリカを選んだのは、単純に「遠くて知らない世界だったから」。それだけの理由でした。頼れる人もいない、コネもない、情報も少ない。それでも、当時の私は怖さよりもワクワクが勝っていました。今考えると、若さって本当にすごいですね。
とはいえ、現実は決して甘くありませんでした。
語学の壁、文化の違い、毎日の暮らしの中で感じる「自分はよそ者なんだ」という感覚。日常のちょっとしたこと——たとえばバスの乗り方やスーパーでの買い物、部屋探しや手続きの煩雑さ——すべてが新しくて、そして時に途方もない壁に感じられました。
現地で働いていたわけではないので、日々は意外と静かでした。でも、その「静けさ」の中で、自分と向き合う時間がたっぷりありました。言い訳がきかない環境に身を置くことで、自分がどれだけ甘えていたか、どれだけ「わかったつもり」で生きていたか、痛いほど思い知らされました。
それでも、だからこそ意味があったのだと思います。
多くの不安と葛藤の中で、少しずつ見えてきた「自分らしさ」。
何もかもが新しく、予想外で、スムーズにいかない毎日。
でも、そこにこそ人生の面白さが詰まっていました。
そして、ここから私の波乱万丈で、ちょっと愉快な人生が始まりました。
予定通りに進まないからこそ、面白いことが起きる。計画どおりにはいかないけれど、だからこそ出会える人がいて、思いがけない場所へと導かれる。そんな連続の中で、私は“旅のような人生”を歩き始めたのです。
思い返せば、あのとき海外に出る決断をしなかったら、今の私はいなかった。未知の場所に身を置くことでしか得られない視点があり、自分を知る手がかりがありました。
そして何よりも、そんな無謀な私を信じ、温かく見守り、送り出してくれた家族の存在には、どれだけ感謝してもしきれません。遠く離れた場所から支えてくれたことが、どれほど心の支えになったか、今でも思い出すたびに胸が熱くなります。
アメリカが初めての海外。
それは、ただの“場所”ではなく、人生の転機でした。
あれがすべてのはじまりで、そこから今に至るまで、いろんなことがありました。
けれどそのすべては、あのときの決断が生んでくれたもの。
そしてその旅は、今もなお続いています。
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